issue-51

孤独のグルメを見た、その中に納豆を食べるシーンがあった。主人公は言った。納豆をかき混ぜる行為は祈りだ。美味しくなって欲しいという祈りだ。と言った。この台詞にはその辺の唄の詩より牧歌的であり、まるで雄大な言葉だと感じた。

 

 

世の中の仕組みで10%は何をせずとも上手く行く人間、もしくは他の追随を許さない才能の塊。別の10%はどこまで努力しようが開花することなく散っていく人間。残りの80%というマジョリティーは努力すればした分だけだろう。このマジョリティーにおいては何が大事なのか?今までの流れはその道の職人あるいはプロがエッセンシャルな部分だったはずだ。でも、これからはプロにはなれずともその道のスタンダード基準を前提とし、ポリバレント、ユーティリティープレイヤーになる必要があると感じる。それに加え、終身雇用制度が限界を迎え、人生100年時代到来の中、東証一部上場企業も平均寿命20年という数字が出て同じ会社にずっといられることの難しさを淡々と数字が述べている。そんな中で新世代のおれらに必要なエッセンシャルは会社や環境に依存することなく活躍出来る個の力だろう。臨機応変に対応でき、例え国が滅びようとも生きていけるだけの力を、情報を知るべきだと思う。先週第三次世界大戦一歩手前で終わったアメリカとイラン。日本は関係ないなんてそんな呑気なことは言ってる場合じゃないんじゃないのか。明日世界が滅ぶとしたら、自分たちは何を一番悔やむのか考えるべきだ。生活はもっとシンプルであるべきだと思う。

 

今スタンダードな98年組は就活最前線で各々奮闘している。

 

一方で自分は授業を抜け出しコーヒーを飲みタバコを吸ってこれを書いている。

 

 

この差はおれがマイナスなのか。おれにはそう思えない。授業に出ていればボケーっと座っているだけだったと言えるし、この授業で真剣にノートを取りそのことについて考えている人間の方が圧倒的に少ない。

 

 

就活最前線に立って戦った先に見えるものは一般的な生活だ。

 

 

おれにはそれが幸せとは思えない。

 

静寂を切り裂くようにRiver EPからOVERDRIVEが鳴り響いた。