issue-52

大切なものを失った。それは今のおれの全てだ。また何回も考えつく限りの言い訳を考えた。でも全てお見通しだった。どんなに大人のフリをしても大人にはなれなかった。自分はちっぽっけで100円玉と500円玉の入っていない大きなコインケースのようだった。

 

 

こんな日はいつも寝れずにいる。ずっとモヤモヤしている。いっそくたばりたい衝動を抑えた。でもやっぱり何かがしたくて、眠りたくなくて結局くたばる為に家を出た。しゅうすけさんと話し、福間やケイゴに連絡しおれは一人じゃないことを確かめたかった。自分の中の象徴が無くなった気がした。留学に行く前、最後にライブをしたあの日から人前で赤いテープでぐるぐる巻きにされたマイクを持つことはなくなった。あのマイクはADPの象徴で自分の存在そのものだった。その最後にしたおれらのライブの日、自分の中にいるいくつもの自分のうちの1人とお別れをした様なそんな気分だった。

 

 

今は京都西院でSIX PACK GIRLというバンドでやり続けている一誠を見ると羨ましかった。まだ夢を捨てていないんだなと思い、このままでいてね。と言いたかった。

 

 

山に行くとしゅうすけさんに言い放ち家を出て鍵を閉めた。外は雨だった。ちっくしょうと心の中で叫んだ、ついでにコンクリートをどついた。大袈裟な怪我はなくただジーンとしただけだった。正直家に戻って寝たかった。ケータイを見てさっきまでのトークを読み返した。仲直りしたかった。でもそれじゃダメなんだと思って靴紐をいつもより固く結び直しとりあえず歩き始めた。気温は寒く雨が降っていて数分で全身びちょ濡れになり身体の芯から凍え、すぐに家に帰って寝ようと決心した。近くを一周し家の前に戻ってきた、でも今帰ると何も変わらない気がしてもう一度違う道を歩いた。くたばる為に家を出たんだ。さて次はどこに行こうと思い昔住んでいたマンションの方へ向かった。ここのマンションの灯りが好きだ。真っ暗の夜道の中そこの灯りは遠くからでも見えてそこにいくと落ち着き、安心することが出来る。どうしようもなく落ち込んだ時は本能的にここへ来る。確か何ヶ月か前にも来た様な気がする。昔走り回ったエントランスをもう一度走った。このエントランスを最後に走ったのはもう10年以上前のことだ。あの頃はエレクトーンの練習ばかりでまともに外で遊んでいなかった。だから学校からの帰りは毎日全力でそのエントランスをくぐった、息が切れるまで階段を走って登り続けたことを思い出し、階段登ろうかなと思ったけど階段の通路が案外小さくてこんなところで全力ダッシュしたらこけてしまうと思いやめた。

 

 

今の自分の状態は嵐みたいなものだ。無期限で活動停止。まだSMAPになってないだけマシな方だが宙ぶらりんの状態がいつまで続くのだろうかと考えるとそれ以上は何も考えたくなかった。気がつくとお腹が空いていて今はマクドにいる。そういやおれ腹減ってたわ、と思い出した。マクドのコーヒーも旨いが自分で淹れるコーヒーの方が好きだ。火加減は超重要だということに気づき、それは恋愛も同じだと気がついた。強火にし過ぎるとコーヒーが焦げるし、勢いよくコーヒーメーカーから噴き出てしまう。中火よりやや弱めでじっくりとコポコポコポコポと音が出る様に淹れることができた日のコーヒーはとても旨い。

 

おれも強火すぎたのだろう。だから毎回火を緩めなければいかない、そして弱め過ぎると次は火そのモノが消えてしまいもう一度点火しないといけなくなる。じっくりコトコトするには気持ちの余裕が大切だ。早くコーヒーを飲みたいと思ってはいけない。美味しいコーヒーを飲みたいと思えればきっとうまくいく。そんなスタンスを身につける為におれはジャックジョンソンを聞き自らの中に台風の目をつくった。台風の目にいる間は穏やかだ。ジャックジョンソンを聞いているとさっきまで不味く感じたパンケーキがうまく思えた。ハワイっぽいなと。ここは奈良やけど。

 

 

書いたこの文を読み返して恥ずかしくなり消そうかと思ったがやめた。

 

自分はゼロか100だと言った。それを思い返してコーヒーのくだりを自分に当てはめ想像した。ガスバーナーからとんでもない火が出ていた。おれはアホかと思って、そんなことをイメージするとニヤニヤしてしまった。イメージの中で自分の恋の炎はゴーーーーッッと音をたて燃えていた。それじゃもちろんダメなんだ。コーヒーが焦げ付いてしまう。余裕なんてすぐに出来るモノじゃないし、おれはこのまま永遠に落ち着くことなく自分は滅びていくのだろうと本気で考えていた。本当にそうかもしれない。でもほんの少しだけ雲の隙間からキラキラした陽射しが見えた気がした。自分は今まで勘違いをしていた。思いっきり、熱く燃やし続ければ良いと思っていた。しかし違う。熱すぎると火傷を負わせ傷つけてしまうことになる。でも火を消せば良いっていう訳でもない。心地よい暖かさで燃やし続けることこそがベストなんだ。簡単なことかもしれないがこの気づきは大きいはずだ。

 

 

嵐のファンがじっと活動再開を待って祈るように、おれもじっと待ってみようと思う。仮にもし気持ちが無くなってしまったなんて事になったとしても自分はまた成長できるきっかけを貰えた。一度ゆっくりしたら次の場所に向かうのがおとろしく感じる。

 

もう少しだけ歩いて出来るだけ遠くに行こうと思う。

 

 

今までこのクラブを率いてきた自分の中の自分はもう引退し、新たな自分がこれからを引っ張って行かなければいけないのかも知れない。いまがその時なんだ。

 

"チーズはどこへ消えた"を思い出した。