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"ヤギカン"という人物を知っているか?聖心の人間はヤギカンというワードは知っているだろう。"ヤギカン"は医者の卵で高身長、顔は嵐の二宮を縦に伸ばしたようなカンジでヒョロヒョロだ。

 

 

初めて出会ったのは小学校3年の時くらいで稲田塾に通っていたころだ。おれもヤギカンも一番頭の良いクラスで"最難関コース"というクラスに入っていた。その時のイメージは"消しピン"(消しゴムを指で弾いて机から落とすゲーム)に100均で売っている超デカイ(筆箱くらいのサイズの)キング消しゴムを使ってくるウザいやつだった。しばらくするとヤギカンは違う塾に移った。

 

 

小学校4年の終わり、アオピとサクライと学校のグラウンドで遊んでいるとヤギカンとヤギカンのお母さんが学校から出てきた。おれとヤギカンはしばらく目が合った後ヤギカン?オカハシ?となり少し話した。引っ越ししてきて来年からここ通うねんと言っていた。おれは少しだけウキウキした。

 

 

小学5年の時クラス分けの紙を見るとおれはヤギカンと同じですぐに超仲が良くなった。あの頃は廊下の端から端まで太い輪ゴムを繋いでどっちが先に離すかみたいなダチョウ倶楽部みたいなことをしたり、給食でスイートポテトやお魚アーモンドが出た日には食べ終わりデカイ鍋とかを給食室に戻す場所に行って残っているスイートポテトやお魚アーモンドを全部パクって中庭でバレないように食べるというNYストリートチルドレンごっこをしていた。小学校の勉強など屁でも無かったおれとヤギカンは毎回保健室で遊んでいた。保健室の先生はめっちゃ優しくて居心地が最高だった。デュエマや遊戯王をしたりモンハンをして退屈な小学校生活を最高な暮らしに変えていた。

 

小6になっても同じクラスで学校でもずっと一緒に遊んで塾に行く前もヤギカンの家でスマブラを永遠にしていた。塾の時間になると一度ピーだけしに行きまたヤギカンの部屋に戻ってスマブラの繰り返しだった。(ヤギカンの親は両方仕事で20時ごろに戻ってくる)ちなみにヤギカンの家は稲田塾の後ろでヤギカンが行っていた市田塾も歩いて2分の所に合った。

 

 

受験が近づいてくる夏終わりヤギカンは問題を起こした。塾のトイレから見えるヤンキーに向かって中指を立てfuck!fuck!と叫び死ね死ね!と叫んだのだ。ヤンキーは塾に入ってきて状況を説明したらしい。するとヤギカンは退塾になった。おれはそれを聞いて爆笑した。こんなヘボそうな奴のどこにそんな勇気があったのか不思議で仕方が無かった。しかしヤギカンの親は超強く、ウチの子が何もされていないのにそんなことをするはずがない!!みたいな超ゴリ押しプレーで1週間後にまた塾に戻った。

 

 

6年の時は放送委員で毎週火曜日のエイゴリアンを2人で流していた。おれらは"どうせ誰も見てへんよなw"と言って1年間同じ回を流し続けた。放送室でもペンを投げ合う"文房具戦争"をしたり、じゃがりこをバレないように食べ、ゴミを放送室にある一番使っていなさそうな箱に詰めたり、くだらない小学校生活の中の最高の瞬間を繰り返していた。今考えたらじゃがりこを放送室で食べるくらい余裕だがあの頃はスリル満点だった。

 

 

 

受験が終わりおれは聖心に、ヤギカンは東大寺を目指したが滑り地元の公立に進んだ。高校でリベンジを果たしヤギカンは東大寺に入った。おれのいない中学3年間は地獄でしかなく、超勉強に励めたらしい。大学は大阪市立の医学部だ。

 

 

でもアイツはめっちゃアホだ。去年の夏のサマソニにリコとアオピとヤギカンで行った時、アイツは会場付近でチケットが無いことに気付いて帰った。

 

 

充電がもう切れるのでこの辺にしておく。