issue-217

大学を卒業した。4年間は予想通り早かった。もしかしたら留学期間の8ヶ月より早かったかもしれない。大学生活で一番の思い出と言えば留学で、その次はデカルブへ戻ったあの期間。もしかしたらこっちの方がおれの人生にとって、大学生活にとっても大きく作用したかもしれない。あの2週間に大きく感謝する。奥さんとなったリコとも出会え、アオピとはかけがえのない思い出を作ることが出来、秀輔さんとの関係があの期間で確固たるものとなった。

 

今思い出したが、留学生活の最後、おれは不必要な味噌汁やら服やら、教科書などを秀輔さんにセンベツ代わりに渡した。あの味噌汁や、お茶漬けのモトはどうなったのだろうか。

 

 

大学生活を振り返る。

 

初めから最後まで大学の施設はあまり活用出来ていない。一年の時から、あんまり大学の友達とはツルマズ、授業が終わったらソッコー帰るという信念のもとに大学生活を送った。昼メシも大学の食堂では一度も食ったことがない。それこそ入学したての時は行こうかと思ったけど、人がウジャウジャいすぎて、無理だった。だから近大通りと云われる通りにある飯屋で昼は食っていた。中でも、キリンジは外せない。今でこそあんまり旨いとは思わないが、一回の時は週2回は行っていた。毎回麺3人前を食っていたと思うと信じられない。今じゃクドすぎて食べれてもんじゃない。当初から一貫して仲が良いのはユイトで、昼飯は基本こいつと一緒だった。ユイトはおれの大学生活の中で間違いなく助演男優賞を受賞する程の功績を残してくれた。ピ逃げ常習犯のおれのケツ拭きを毎回してくれていたし、テスト対策、ミニッツペーパー、ゴーストライター、ありとあらゆる事をしてもらった。ただただ感謝でしかない。

 

そんなユイトとゼミも同じになれたことは勿論、結婚式に招待できたことは心底嬉しかった。

 

 

コロナ前までの近大卒業式は盛大なセレモニーで色んな著名人が講演をする程だったが、去年に続き今年もゼミ単位での卒業式となった。

 

 

どうせゼミ単位やしと思い私服で行くと、あらビックリ。見渡す限りスーツとカラフルな着物軍団。場違い感が半端なかったので早く帰りたかったが、堪えてゼミの教室に行き、しっかり卒業証書を手渡ししてもらった。その後みんなは写真撮影会だったが、おれはユイトと写真を撮れたので足早と帰った。

 

 

その日、一番嬉しかったことはリコから卒業祝いを貰ったことで、その手紙が凄く名作だった。モノとしてはcongrats と彫られた木箱に数種類のウイスキーと"made my day"と刻印されたグラス。そのmade my dayの意味を手紙を読むまでは知らなかったが、手紙になぜその文字を選んだかが描かれてあり、読み終わる頃には感極まり涙が出るほどだった。一番身近な人から卒業を祝ってもらえることは大変幸せなことで一番卒業を実感した瞬間でもあった。

 

 

ずっと徳島に居た頃が遠く昔のことの様に感じる。あの生活こそがおれの大学生活の日常だった。いつかまた、あんな時間を過ごしてみたいと思う。